負の歴史 ドーハの悲劇

 日本サッカーにとって最も痛烈な悪夢、ドーハの悲劇。このドーハの悲劇が起こったのは、忘れもしない1993年の9月のこと。

 

 僕はちっちゃなブラウン管の15インチくらいのテレビ、モノラルのものを使って、サッカー中継を見ていました。ロスタイムに入って、日本のサッカー関係者が握手を交わし、地元のメディアが動き始めた頃のこと。

 

 僕の記憶が確かなら、10番(エース)のラモスは確か、カメラに向かってガッツポーズをしたはずです。会心の勝利による、ワールドカップが迫っていました。

 

 ゴールが決まった瞬間、何かの芝居のように思えました。あまりに周りがうまくいきすぎていたからですよ。実は、フランスもあの1994年アメリカW杯予選で、ロスタイムの悪夢を味わっているんです。

 

 あの時は、パパンがエースで、カントナ、ジノラがいました。デサイーだっていたんです。ですが、2試合で勝点1で良かったフランスはイスラエル戦をまさかの敗戦で落とし、ブルガリア戦を迎えました。

 

 そしてロスタイムに、パリの悪夢と呼ばれる悲劇が起こったのです。4年後に開催国となったフランスは、ワールドカップ優勝国になりました。日本はというと……。